ルイージ・コルヴァーリア(Luigi Corvaglia)
訳:みつを
原文 2023/08/14
翻訳 2023/12/07
1995年、オウム真理教と呼ばれるグループが、人々を殺し、数千人を毒で殺傷した東京地下鉄での神経ガス攻撃の主体者であった時、少数の「学者」グループが教団を擁護するために日本に到着した。支援グループはゴードン・メルトン(Goldon Melton)が率いていた。興味深いのは、学者たちは日本の土を踏む前からこのカルト教団より報酬を受けていたことだ。ゴードン・メルトンとは何者か? 彼は、イタリアの組織CESNURのアメリカ支部の責任者であり、現在もその地位にある。別のカルト、文鮮明の旧統一教会に政治的支援を与えたことを理由に安倍晋三を暗殺した人物による事件の後、同じことが今起きているようだ。今回は、CESNURのリーダーであり創設者であるマッシモ・イントロヴィーニュ(Massimo Introvigne)が、論争の的になっている宗教グループを助けに来た。彼は一流の研究センターの所長で無謬の学者のように振る舞い、日本のマスコミに対して、宗教の名を汚す悪評を懸念していると様々な発言をし、さらには、少数派宗教に対する憎悪の風潮を生み出すことになるため、「反カルト運動」は殺人に対する道義的責任があるとまで非難している。だが、本当にそうだろうか?。
西洋で何十年も続いている潮流の一部を日本の人に理解してもらうことは難しいかもしれない。だが、この問題に関して日本の市民が目の前で起きていることに気づかない危険性がある。順を追って話を進めるとすれば、まずこれまで議論してきたことを評価することから始めよう:(オウム真理教や旧統一教会などの)論争の的となっているグループを擁護するために日本に介入している西洋の学者たちはみな同じ研究センターCESNURの所属だ。次に、CESNURとは何かを理解する必要がある。そのためにはまず、このセンターが活動する文化的背景と、その系譜の構造を知らなければならない。
それは、全体主義的な宗教/スピリチュアルグループにおける虐待の存在を懸念する学者や活動家と、「カルトの弁明者」との戦いだ。 「カルトの弁明者 」とは、虐待に反対する専門家や活動団体が、スピリチュアル・ムーブメントを全体主義的な集団、つまり虐待的で閉鎖的な集団とみなしているにもかかわらず、その理論や実践を擁護する人々のことである。
カルトの弁明プロパガンダの中心的な哲学的テーマは、いかなる種類の信念や実践も信教の自由の名のもとに裁かれることなく擁護されなければならないということである。これは称賛に値する、非常に寛容な原則であり、他の信仰との共存への道が開かれているように見える。しかし、オウム真理教の事件は、いくつかの疑念を抱かせるものだった。その超党派主義が高く評価されたメルトンは、メソジストの牧師であり、サイエントロジーのフロント団体であるAPRLの運営委員を務め、サイエントロジー主導の「カルト科学者」からなる新しいCAN[1] の主要な専門家の1人である。
そう、強力なカルトとして世界中で議論され、ドイツでは違憲とさえみなされているアメリカのサイエントロジーには、カルトを研究する協会があり、メルトンとイントロヴィーニュの2人は、その協会に所属しているのだ!
メルトンは、ラムサ啓蒙学校(Ramtha School of Enlightenment)[2] を含むさまざまなグループから直接依頼され、費用を支払われ数冊の本を書いた。その後、同じグループが彼の本を広めた。イタリアの統一教会も何年も前にイントロヴィーニュの本で同じことをした。 そして現在に至っている。
しかし、カルトの弁明者たちの動機が著作依頼などのビジネスだけだと考えるのは不公平だろう。実際、彼らにとっては、理念的であり政治的、宗教的な問題でもある。 ここで、CESNURの系譜を知る必要がある。CESNURは、1988年、イントロヴィーニュ自身が長い間リーダーを務めていた反動的団体「アルレンツァ・カトリカ(Alleanza Cattolica)」のメンバーたちによって設立された。この団体は、創造主が与えた世界の神聖性が「近代」によって歪められていると確信する伝統主義者を集めていた。
この歪みの進行を、Alleanza Cattolicaの思想的指導者、ブラジルのカトリック思想家プリニオ・コレーラ・デ・オリヴェイラ(Plinio Correra de Oliveira)は「革命 」と呼んだ。この革命は単一の出来事ではなく、ヨーロッパではプロテスタント宗教改革、すなわちキリスト教の一部がローマ教会から離脱することから始まり、フランス革命に続き、共産主義革命で終わる解体のプロセスである。
デ・オリヴェイラ、ひいてはAlleanza Cattolicaが提案するのは、被造物の神聖さと伝統的なヒエラルキー(階級組織)を回復する「反革命」であり、したがってそれは反平等主義で反自由主義的な政治プログラムである。1993年にイントロヴィーニュ自身が執筆した内容によれば、CESNURとは別の手段で継続される反革命プロジェクトである。実際、彼は「Alleanza Cattolicaの活動家たちは、他の人々とともに、福音化と反福音化の間の劇的な闘争、つまり、Alleanza Cattolicaが特に影響を受けた反革命的カトリック学派の言葉で言えば、革命と反革命の間の劇的な闘争という、より広い枠組みに立ち戻ることを怠らない弁明的な応答として、CESNUR を創設し、現在も活動を続けている」と書いている。
イントロヴィーニュのような伝統主義カトリック信者が、カトリックからかけ離れたグループを擁護したり、”エキュメニカル”、つまり他宗教との共存に開かれていたりするはずがないことは明らかだ!というのも、カトリックの伝統主義が基礎としているのは、カトリックは唯一の宗教だということだからだ!だがここは、自分の信念に反する行動を正当化する歪んだ動機に立ち入る場所ではない。私がここで述べたいのは、偽善的な 「信教の自由」を保護することによって、カルト教団の擁護者たちは、国家が自分たちのスピリチュアルな問題に干渉するのを防ぐことができるのだ、ということである。
確かに、CESNUR周辺に集う学者たちがアメリカの「ネオコン」(新保守主義者)プロジェクトに集合していることは、このことと無関係ではない。実際、カトリックの伝統主義者の多くは、「革命」の成果であるヨーロッパの世俗主義に対応できる唯一の反革命勢力はキリスト教国のアメリカであるというヴィジョンを抱いてきた。伝統的価値観を拡大するネオコン・プロジェクトには、有用な地政学的ツールとして「信教の自由」を利用することも含まれている(これについては長いレポートを書いたので、こちらをお読みいただきたい)。このような理由から、弁明者たち、サイエントロジーや旧統一教会のようないくつかの強力なカルト、そしてアメリカの新保守主義者たちの政治経済的環境の間には、相互支援と推進の関係があると、私たちは信じているし、その証拠もある。
今、このテーマに取り組んでいる人たちは、この言説の筋を追うのは難しいだろうが、日本の市民はジェフリー・M・ベイル(Jeffrey M. Bale)が書いていることだけでも知っておくべきである。彼は、政治的・宗教的過激主義、テロリズム、非従来型戦争、秘密政治活動に関する最も有名な国際的専門家である; 彼は『政治の暗黒面(The Darkest Side of Politics)』の第2巻で、非従来型戦争には次のような組織が関与しているとはっきりと書いている。すなわち、その組織とは「宗教的自由やその他の民主的自由を謳いながら、実際には研究調査や批判、あるいは政府による取り締まりの可能性から、過激主義や全体主義あるいは反民主主義的なグループを守ろうと意図する宗教的あるいは政治的な隠れたアジェンダを追求する」組織である、と躊躇なく書いている。 この専門家は、おそらくこれらの組織の中で最も顕著なケースがCESNURであると付け加えている。 "リベラル "な主張を逆説的に用いて信教の自由を擁護するということではなく(そのセンター長は "右翼のカトリック活動家 "であるため)、このCESNURの 隠された(sub-rosa)アジェンダ(行動計画)は、おそらくバチカンの意向を受けて世俗主義と戦うことである。彼は、「国家テロリズム、大量破壊兵器、宗教的過激主義、組織犯罪」に関する重要なテキストの中でこのことを書いている。
ルイージ・コルヴァーリア(Luigi Corvaglia)
権力と服従の関係を研究する学者であり、イタリアの反カルト活動家である。彼は心理学者、心理療法士、講師、サイエンスライター、エッセイスト、カンファレンスの講演者でもあります。コルヴァーリアの考察の中心テーマは、特に説得と個人の自由の関係に関して、自由意志とその限界です。サレント大学の法医学および犯罪学部門のスタッフメンバーであり、ミラノのウニマイヤー・ポピュラー大学で法医学の講師をしています。2015 年に心理的虐待研究センター (CeSAP)の会長に就任しました。彼は欧州連盟であるFECRISの科学委員会と理事会の両方のメンバーです。彼は、締め付け的で全体主義的なグループに取り組む学者の主要な国際ネットワークである国際カルト研究協会 (ICSA )の会員でもあります 。
https://en.luigicorvaglia.com/about
注釈
[1] CAN(Cult Awareness Network カルト啓発ネットワーク)とは、1978年から1996年まで活動していた米国の反カルト非営利団体だったが、訴訟に負け1996年に破産して解散した後に長年敵対していたサイエントロジーに買収によって吸収された。
グッドスタイン、ローリー (1996年12月1日)「それは非営利団体の敵対的買収だ」シアトル・タイムズ紙 アーカイブ記事
ダン・ナップ (1996年12月19日)「かつてサイエントロジストを批判していたグループが、現在はそのグループの所有者となっている。 」CNN アーカイブ記事
[2]ラムサ啓蒙学校(Ramtha School of Enlightenment)は、1989年にJ.Z.Knightという女性が米ワシントン州Yelmで始めたニューエイジカルト団体。
スージー・ブキャナン(2014年5月24日)「ラムサ・リレット」 南部貧困法センターSPLC
Special Thanks 上原潔氏
原文
Luigi Corvaglia
In 1995, when the group called Aum Shinrikyo was responsible for the nerve gas attack on the Tokyo underground that left people dead and thousands poisoned, a small group of "scholars" reached Japan to defend the cult. The support group was led by Gordon Melton. The interesting thing is that the scholars were paid by the cult even before they set foot on Japanese soil. Who was Gordon Melton? He was and still is the head of the American branch of the Italian organisation CESNUR. The same thing seems to be happening now, after the assassination of Shinzo Abe by a man who would have found him guilty of giving political support to another cult, the Unification Church of Reverend Moon. This time, the leader and founder of CESNUR, Massimo Introvigne, came to the aid of the spiritual group under discussion. Surrounded by the aura of an aseptic scholar at the head of a prestigious study centre, he makes various statements to the Japanese press saying he is concerned about the bad press tarnishing the name of religion and even accuses the "anti-cult movement" of being morally responsible for the murder because it would create a climate of hatred towards minority religions. Let us pause for a moment.
It is difficult to make the Japanese people understand some of the dynamics that have been active in the West for decades. There is a danger that the public will not realise what is happening before their eyes. If we proceed in order, we begin by assessing what we have discussed: Western scholars, all expressions of the same study centre, intervene in Japan in defence of groups that are at least controversial. It then becomes necessary to understand what CESNUR is. To do this we must first frame the cultural context in which this centre acts and its genealogy.
The setting is that of the war between scholars and activists concerned about abuses in some totalitarian spiritual contexts and the so-called "cult apologists". are people who defend the theories and practises of spiritual movements, even though professionals and militant associations who oppose abuse regard them as totalitarian groups, i.e. abusive and restrictive. The central philosophical theme of the apologetic propaganda of the cults is that any kind of belief or practise must be defended without subjecting it to judgement in the name of religious freedom. It seems to be a commendable, very ecumenical principle, open to coexistence with other faiths. However, the Aum Shinrikyo affair should give rise to some doubts. Melton, whose ecumenism was well paid, is a Methodist pasto and served on the steering committee of the APRL, a Scientology front office, and is one of the leading experts on the new CAN, Scientology-led panel of “cult scientists”. Yes, the American Church of Scientology, which is discussed worldwide as a powerful cult and is even considered anti-constitutional in Germany, has an association that studies cults! And both Melton and Introvigne sit in it!
Melton wrote several books that were directly commissioned and paid for by various groups, including the Ramtha School of Enlightenment; the same groups then disseminated his books. The Unification Church in Italy did the same thing years ago with a book by Introvigne. This brings us to the present.
But we would be unfair if we thought that the only motivation of cult apologists is the mercenary relationship. In fact, for some of them it is also an ideal, political and religious question. Here is the need for a genealogy of CESNUR. It was founded in 1988 by a group of members of the reactionary association Alleanza Cattolica, in which Introvigne himself was a leader for a long time. This association gathered traditionalists who were convinced that modernity had distorted the sacredness of the world given by the Creator. This process of distortion was called a "revolution" by Alleanza Cattolica's ideological reference, i.e. the catholic Brazilian thinker Plinio Correra de Oliveira". This revolution is not an event, but a process of dissolution that begins in Europe with the Protestant Reformation, i.e. the secession of part of Christianity from the Church of Rome, continues with the French Revolution and ends with the Communist Revolution. What de Oliveira, and thus Alleanza Cattolica, proposes is thus a "counter-revolution" that restores the sanctity of creation and the traditional hierarchies, a political programme that is therefore anti-egalitarian and anti-liberal. According to Introvigne himself, who wrote it in 1993, CESNUR is the counter-revolutionary project continued by other means. In fact, he wrote that "activists of Alleanza Cattolica, together with others, founded and still animate CESNUR [...] as an "apologetic response that never fails to go back to the broader framework of the dramatic struggle between evangelization and anti-evangelization, that's, in the language of the counter-revolutionary Catholic school, of which Alleanza Cattolica is particularly inspired, between revolution and counter-revolution."It is clear that a traditionalist Catholic like Introvigne should not defend groups that are very distant from Catholicism, nor be so ecumenical, i.e. open to coexistence with other religions, because the basis of Catholic traditionalism is that the Catholic religion is the only religion! This is not the place to go into the twisted motivations that justify behaviour so contrary to one’s own convictions. I confine myself here to stating that the protection of a hypocritical "religious freedom" also allows cult apologists to prevent states from interfering in their own spiritual affairs.
Certainly the convergence of the scholars gathered around CESNUR with the American “neocon” (neo-conservative) project is not uninvolved in all this. Indeed, many Catholic traditionalists have held a vision that saw Christian America as the only counter-revolutionary force capable of responding to European secularism, the fruit of the “revolution". The neoconservative project of expanding traditional values also involves the use of "religious freedom" as a useful geopolitical tool (I wrote a long report on this, which you can read here). For this reason, we believe, and there is evidence, that there is a relationship of mutual support and promotion between the apologists, some powerful cults, such as Scientology and the Unification Church, and the political-economic environment of the American neoconservatives.
I realise that those who are now approaching the subject will have difficulty following the thread of the speech, but the Japanese public simply must know what Jeffrey M. Bale has written. He is the best-known international expert on political and religious extremism, terrorism, unconventional warfare, and covert political operations; He does not hesitate to write in the second volume of The Darkest Side of Politics that unconventional warfare involves organizations, pursuing "hidden religious or political agendas wich, in the name of religious and other democratic freedoms, are in reality intended to shield extremist, totalitarian, anti-democratic groups from scrutiny, criticism, and potential government crackdowns, and more generally to resisting or even roll back against <<secular humanism>>, liberalism, and modernism in the West." The expert adds that perhaps the most prominent case of these organizations is CESNUR. Instead of defending religious freedom with paradoxical "liberal" arguments (since its director is a "right-wing Catholic activist"), the "sub rosa" agenda of this center is to fight against secularism, perhaps at the behest of Vatican circles. He writes this in a seminal text on "state terrorism, weapons of mass destruction, religious extremism, and organized crime.
たいへん参考になりました。Luigi Corvaglia 氏のサイト、他、に目を通してみましたが、原文が見当たりません。お差し支えなければ、出典を教えていただけませんか。